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日本建築について

わたくしの好み

島 成園

 これはわたし一人の意見で御座いますし、またわたしどものやうな藝術に専念したて居るものゝ意見が、決して大方の御参考になるとも思ひませんが、わたしはわたしの場合に照して、矢張り純日本趣味の住宅讃美者で御座います。

 都會とか田園とか區劃することになりますと、其處にはいろいろの甲乙の議論もあることと思ひますが、さういふことを離れて、暫らくわたし一個の趣味としては、前に述べたやうに何處までも日本趣味に立脚したいので御座います。

 しかしそれにしても、わたしは住宅は決して宏大なものは必要ないと思つて居りますもので、たゝ慾を申せば、庭園は幾分廣い方がよく、そしてなるべく植込が多い方がいゝと思って居ります。使ひもせぬ幾つもの部屋や調度品、さてはそのために多くの下女下男を使用するなどといふことは、單に不經濟なばかりでなく、階級意識の上から云うても、決して面白いことではないと思つてゐます。

                                    


大毎美術

昭和7年5月5日発行 第11巻・第5号 より転写

ですが、建築に際しては、たとひ小なりと謂へども木材は出來るだけ上等のものを用ひたいと思ひます。安普請であるといふことは、何かにつけて不快であるばかりでなく、一家の指導上にも、決していゝことではありません。

わたしの知人の子共に、繪畫の天才がありましたがどういふものか或る時期を劃して、これまでのやうな天才的ひらめきをその子供の畫から見出すことが出來なくなつたので御座います。で、あまり不思議に思ひまして、いろいろその理由に就て調べて見ましたところ、家庭の都合で轉宅いたした結果だといふことがわかりまいた。と申したのでは御解りにならないかも知れませんが、それはかうなので御座います。その子供が、これまで住んでゐた家といふのは相當由來のある、そして建築としても實に立派なものであつたのですが、其後轉宅したのは新築ではあつたが、すべてが安普請であり、すべてが何等藝術的反應のあるやうなものがなかつたので、從つて日夕其處で起居してゐる間に、その子は刺戟性を失つたといふことが、発見されたので御座います。

で、その結果驚ろいてまた他に轉宅したといふことも御座いますが、これに依つて見ても、人間の生活上住宅のもたらす感化といふものは、決して莫迦になるものでは御座いません。

                                                                            

 

しかし、さうは申すものゝ在來の傳統的日本住宅が、かなずしも全部稱賛に値へしてゐるかといふと決してさうばかりも申されません。

あるべきところに、あらねばならないという筆法で猫も杓子も必要であらうが、なからうが、たゞおかまひなしに、一つの型にはまつた住宅を造り、一年三百六十五日、床の間に古新聞をつんでゐたりする人もあります。また自己の趣味などまったく無くても當然のやうに、いろいろなものが並べられたりしてゐるのをよく見ますが、これなどは實用的であるといふ點からは勿論、趣味といふ點から申しても、決して関心すべきことだとは思はれません。

これは、それよりももつとふかく根本的に立入つて、何處まで日本建築といふものが、趣味に即してゐるかを檢べてみることが重要な問題だらうと思って居ります。

而もさういふ點になると、わたしは特別に數奇をこらしたものは別として、一體に日本住宅といふものは餘りに趣味といふものが欠けてゐるものだと観てゐるもので御座います。

いふまでもなく、日本建築の源は、これを支那に求めることが出來ますが、日本住宅における支那風味は、今日ではその面影がほとんど失はれてゐるばかりでなく、色彩とか調和とかいふものとは、全く離れてゐるやうな氣さへいたします。尤もこれは、日本人本來の好みになつてしまつたのかも知れませんが、果してかうなるのがいゝものか疑はしいと思ひます。奈良の春日神社や、天王寺の廻廓を見てあれを眞似よとは申しませんが、それにしても今日の日本住宅といふものには、その基調となつてゐるものに、何處に色彩に考慮が深く拂はれてゐるでせう?この点誠に寂莫なものだと思ひます。更らにもつと具體的に申せば、壁とか欄間一つにでも、どれだけ心してあるかといふことが問題になつて來ます。その點になりますと、今こそ荒れ果てゝゐる支那ですが、この建築といふ點で、今なほわたしたちとして大に學ぶべき點があると思ひます。

ですがこれは、わたしは上つら丈けの觀察を申してをるのではありません。支那建築の陰にひそむいゝところを指して申してをるのです。

                                                                                                                      

従つてわたしの考へでは、現在の日本住宅に或る程度まで支那趣味を取入れるといふことは、相當効果のあることではなからうかと思つてゐます。

尤もさういふことは建築をする場合、經費の關係もありませうけれど、しかし日本のやうに傳統を盲目的に信頼してゐるものゝ中へ、一點新らしい何物かを投げ入れると申すことは、相當効果があるだらうと考へます。さうしたら必ず何かしら生彩といつたやうなものが、出てはこないでせうか。

ですが、これは前にも述べました通り、わたし一個の考へなのでございます。

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