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北海道に移る私

さよなら大阪

島 成園

 私はこんど、この住み馴れた故鄕の大阪に「左樣なら」をして、いよいよオンコの林、樺の林が、殘雪の5月の青い原野に若芽を吹く北海道へ旅立ちます―そして私の住みつく先は、小樽市です。

 私の主人は小樽に在勤してゐます。

 私はかって上海までもゆきましたが、北海道ははしめてです。北海道といふと、すぐ雪を聯想して、寒さに脅やかされるやうな氣がします。ことに私は近年病弱な身ですから、健康のことなども多少氣になりますけれど、北海道ももう雪解けの後ですし、今から住み馴れて注意さへしてゐたら、大した心配はないかと思ひます。

 私は何より も、あちらの風物に接し、またあちらの人情風俗に觸れることが楽しみなのです。あちらではさう大した制作はしないつもりなので、繪の道具などでもほんの小 品を扱ふものだけを持ってゆく考へですが、それでもこちらとは變つた物を見、異つた物に觸れて、乏しい畫心を養ふことが出来れば、何よりも仕合だと思つて ゐます。 


大毎美術

昭和12年5月5日発行 第16巻・第5号 より転写

 この際一と う心苦しいのは、私を中心にして繪を習ってゐる娘さんたちと手を別つことで、この人たちと別れてゆくのは、相當物哀しい思ひをさせられます。私は堺の生れ ですが、大阪で育つて大阪で娘になり、また大阪で結婚して今日にいたるまで、ずっと大阪で繪を畫いて、大阪で生活してきました。私は東京で生活すること も、京都で生活することも、繪を作るのもゝ幸福な土地として不足はないと思ひますけれど、特に私の場合、大阪に越す幸福な土地はないのでした。私は今日ま で、大阪娘であることに十分滿足し、大阪女である事に十分誇りを感じてきたものです。それは大阪といふ土地が持つ藝術の傳統や情操の流れやは、よく私ども の心の芽生えを助けもし、また品性の潤ほひを培かってくれるのに、豊かなものがあったからです。私がこの大阪といふ土地に人生の半ば以上を浸してきて、全 くの大阪女に成りきってゐたことは、今日まで私といふものを知ってゐて下すつた人々の、誰もがうなづいて下さることだらうと信じます。

その大阪に、私は「左樣なら」を告げなければならないことになりました。

 大阪の文學、藝術、人情、風俗―それは多く私のためには回顧的な懐かしい影であり、現實でもあります

私 はどんなに上方のお芝居、そのお芝居の中に動いてゐる男女、文楽の淨るり、人形、西鶴、近松の文章、船場島の内の人々、顔、肢態、衣裳、風習風俗によっ て、私の畫心が培かはれたかを考へますと、涙ぐましい氣持ちになります。私の作家生活は、舊文展の「宗右衛門町の夕」を發端として、多くの制作をいたしま した。しかしその幾多の制作の中心は、どんなものでも、どんな場合でも、一つだつて大阪を足場にしないものはなかったといへる位、私は大阪に身も心も沒し 切つてゐたことは事實です。私の作品は、人でも花でも静物でも、大阪の文藝藝術を的としてゐないものはないと云ひ切れる自信を私はもつてゐます。

その大阪と、私は別れてゆきます。

  しかし物は考へやうにもよると思ひます。私がそれほどな“永遠の戀人”に別れて北海道にゆくことは、その北海道でより以上に大阪をよく慕ひ、大阪をよく観 察する契機になるかも知れないことです。反面から考へますと、大阪にゐて大阪を見る以上に、大阪を離れて大阪を見ることによつて、私が今日まで眼の届かな かつた大阪の或る部面を見ることができるかも知れません。

 殊に北海道に住みつく事によって、そこに新たな観察視野を自分の領分に取入れることのできるのは、畫家としての特殊な幸福ともいへるでせう。

 大毎美術のS氏は、その少年時代を北海道で送った人で、よくあちらの風物を知ってゐる方ですが、このS氏のお話によりまして、私の北海道行きについて、新たな一つの希望をもつことができました。

  それは、北海道はあの通り雪深い土地で、十二月から翌年の二月までは、これを“越年”といって、殆んど雪の中に沒頭して暮してしまふのださうですが、その 間は都市山野が全く深雪に埋もれて、野も畠も一樣に一草一莖の緑もなくなってしまふ。関西地方の如きでは、如何に厳冬中でも、野にはなほ宿草があり、畠に は多少青いものがのこてゐるのですから、年中農家に野菜などの絶えることは絶對にないのですけれど、北海道では、越年中は青いものは一旦絶滅枯死してしま ふのだうですですから四五月の雪解の季節ともなれば、むら消えの雪の中から草が萌出し、全白であった野や山は處ろ處ろに緑が蘇がへり、木は芽を吹き、水が ぬるんでくる、この數ケ月の間、一點の緑も眼に見ることのできなかった後に、かういふ草木の色が映え出してくる時の人間の神經の昂ぶりといふものは、到底 筆舌によく盡すことのできない歓喜であって、詩人でなくとも詩心が生れ、畫人でなくても繪心が勃ぜんとしてうごくといふのです。まして詩人歌人であり、畫 の作家でゝもあつたら、どういふ氣持になるものか、これまで関西だけで暮してきた私には、それはいまだかつて味つたことのない新しい試みであり體験ですか ら、今からそれを楽しみにしてゐるのです。

 永い間、親しくして頂いた大阪のお友達、皆さま、それから懐かしい大阪、また再會の日のあるべきを期待して“左樣なら”

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