島成園の美術評価


島 成園の美人画は、現代の美術品取引の世界では比較的高く評価されている。現代の展覧会でも、美人画として紹介されている。しかし、大正7 年9 月発表の 作品「伽羅の薫」で見られるように、島成園の女性の描き方は、明らかに一般的な美人図から逸脱している。そこでは老いた花魁を描いている。そのデフォルメは非現実的 であり、そこに老いがもつ輝きをうたいあげている。 作品「無題」は自画像と言われ、顔面のキズでもって内面を表そうとしている。これらを追っていくと島成園の絵に対するスタンスは、単に美人画を描くことでなく、 人間の外面・内面を問わず「生きる」ことへの美術表現である。美人画の本道たる女性の理想化(松園的美人)を外れることを意味する。

こ の島成園の姿勢は、大正時代日本画の新しい波に沿っている。大正7 年、京都の国画創作協会は設立され、成園が加入した大阪の茶話会も設立された。それらの会の運動による絵画の表現と島成園の 作品である「無題」「伽羅の薫」の表現は一致している。島成園だけでなく、他の大阪女性画家もその流れの中で作品を制作していたと考察しうる。そのことは 大展出品作品から伺える。しかし、大正時代末、昭和時代となり、大阪で言えば中村貞以的美人へと表現スタイルが移行した。多くの画家は大正リアリズム的表現を終幕させ、時代 は転換した。島成園 作品は大正時代の絵画運動の先端にたち、かつ美術価値を持つと推察する。そうだとすると島成園及び成園作品は大正時代を代表する作家・作品となるであろ う。島成園を美人画の女性画家と見るだけでなく、男女関係なく、近代(大正)画家の中で、その位置を再チエックすべきであると編者は感じる。
 大正9 年、成園は結婚を決めて以後、製作活動を落としたという。それは結婚が原因とされている。しかし、大正日本画のリアリズム運動の消滅から見れば、成園が結婚するとしまいと、島成園のリアリズム日本画の世界は消滅したと推察する。
 なお、島成園作品を含め、大阪女性画家の伝世作品をチェックしても、その中に前述した展覧会出品作品のようなリアリズムに満ちた作品は、数少ない。伝世作品 には、童を含めて、身近な題材でささやかな自我を演出する作品が多い。それゆえ、これからもそれらの埋もれている作品を探さなければならない。

島 成園は大正から昭和の始めにかけてグラフィックの仕事をよくこなした。それは「週刊朝日」「主婦之友」等雑誌の表紙、口絵に限らず、新聞・書籍等広い分野 で活躍した。これまで大正ロマンのグラフックは少年少女趣味的に取り上げられていたので、島成園等美人画の画家たちは、現代のマスコミ・美術雑誌で取り上 げられるスペースが限られていた。しかし、その当時、島成園らのそれは一流新聞、雑誌を飾っており、その当時の最先端であった。今後、これも再確認・再評 価したい。

 

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